老舗 乾佛具店

法要を行う 心のリズムを整える

法要に秘められた知恵

初七日、四十九日、百ヵ日、一周忌、三回忌と続く法要。なぜ、日を限っての法要が必要なのでしょうか。
実は、これらの法要は実に2000年の歴史の中で培われてきた、悲しみを癒やす知恵であり、生きて行くための知恵でもあります。

死んだ後にどうなるのか?

死んだ後に、人はどのようになるのか。それは古代から今に至るまで、人としての大きな疑問です。
仏教には様々な考え方がありますが、今から1600年前頃に、死んだ後には七日ごとに生まれ変わりをし、7回目の生まれ変わり時に、次に生まれ変わる世界が決まる、という考え方が
広く知られるようになりました。この期間、7回の生まれ変わりの期間は、中陰あるいは中有と呼ばれます。
どうして生まれ変わるのか、と言えば、煩悩があるためです。煩悩が無ければ、生まれ変わりは無くなります。
七日ごと、というのは丁度一週間で、週は暦の基本のひとつです。暦は人間が生きて行くために必要なリズムを刻むもので、お経の中でも「七日」はとても大切にされています。

生まれ変わりのリズム、癒やしの期間

実は七日ごとの法要は、亡くなった方ご自身の次の生まれ変わりのリズムであり、残された者にとっては、大切な方の死を受け入れて行く期間となります。
死の悲しみはすぐに癒やされるものでは全くありませんが、七日ごとにお仏壇の前に座る、あるいは祭壇の前に改めて座るだけでも、心はご自身も気付かないうちに微妙な変化が起こっているのです。
少し難しい話になりますが、七日ごとの生まれ変わりを仏教で説くことで知られているのは『倶舎論』という仏教の解説書です。西暦300年から400年頃に活躍した世親という偉いお坊様が書かれた本です。

満中陰と忌明け

七日ごとの生まれ変わりを7回繰り返すと四十九日となり、この日に四十九日法要を営むことで忌明けとなり、日常の生活に戻ります。

人の心の動きに合わせた法要 百ヵ日、一周忌、三回忌

四十九日の後、百ヵ日、一周忌、三回忌の法要があります。
この百ヵ日、一周忌と三回忌の法要は儒教に起源があるとされており、百ヵ日は卒哭忌、一周忌は小祥忌、三回忌は大祥忌に相当します。
儒教の教えは、人間の心のリズムに添う内容が数多く記されていますが、卒哭忌の哭(こく)とは泣くことで、哭(なく)ことを卒(やめる)ことが卒哭忌です。大切な人の死から百日経った頃が、泣くことを止める頃だというのです。もちろん、死を受け入れることは人により様々で、百ヵ日を境にして悲しみが増してくる人もいるはずですが、百ヵ日の法要を以て、泣くことを止めようという意味です。

自分の命を確かめる法要

一周忌に当たる小祥忌は13ヶ月目ですが、これは12ヶ月と1日という日取りで1年目の法要となります。三回忌に当たる大祥忌は25ヶ月目ですが、これは24ヶ月と1日で、2年目の法要となります。
祥の文字はおめでたいという意味ですが、儒教は、先祖のお祀りをとても大切にします。先祖のお祀りによって儒教が成り立っているとも言えるほどです。先祖に仕えることを「礼」と言いますが、それは自分の存在を確かにする方法だからです。

父母を知らない不安 当たり前ではない現在の私

自分を生んでくれた父母が誰か分かっている人にとっては、父母がいることは当たり前ですが、もし自分を生んでくれた父母が誰なのか分からなければ、どれだけ寂しく不安なことでしょうか。
儒教では親に仕えることも、子供を慈しみ育てることも、先祖を大切にすることも教えますが、私たちの仏教には、こうした考え方が強く取り込まれています。それは仏教や儒教という枠組みにとらわれない、人として生きてゆく根本となるからです。

忌と喪の意味

かつては家族の死後は忌日、服喪が強く意識されました。忌日とは家族の死を悼み、家の中にとどまる期間のことで、明治時代の政府が決めた忌日は父母で50日、祖父母で30日、嫡子は30日、嫡子以外は20日でした。
忌日に対して、喪がありますが、これは喪に服するの言葉通り、喪服を着る期間のことで、父母の場合で13ヶ月、父方の祖父母の場合で150日、母方の祖父母で90日、子供で90日でした。
現在では忌や喪はかつてほど意識されませんが、悲しみを癒す期間として、忌・喪は大切な知恵であるとも言えます。